『地球で最後のふたり』と脚本、監督(ともにタイ人)、主演(浅野忠信)が同じ映画と知り、早速観てみた。
プーケットが舞台のひとつとなっていたが、特にプーケットである必要もないようにも思えた。でも、タイ人の脚本と監督によって、落ち着いた、大人の映画が作られたことが『地球で最後のふたり』と同様、感慨深い。
脚本のプラープダー・ユンが著書の『座右の日本』のなかで、タイ人は憂鬱な後味の残る映画や小説はダメで、最後に満足感を得たいのだと言っていた(そのとおりっ!)。その意味ではこの映画はタイ人的には全然ダメ。
そういえば、以前、バンコクの日本映画祭で『千利休』を上映した時、お茶を点てる風景描写の長さに業を煮やしたタイ人はみんな席を立ってしまったという。セリフもなく、動きのない場面が続くのも、タイ人は退屈してしまうらしい。この映画もカメラワークは静かだ。
つまり、作り手の2人のタイ人は、タイらしくなく、タイ人受けもしない映画をつくっているらしい。
唯一、暴力シーンが映像として出てこないのはタイらしいかな。